コミュニケーションを何とかしたい!

全般

コミュ力を上げるには

 最近は「コミュ力」というのがピンとくるのでしょうか。要は人と人が分かり合えるという能力のことですね。身内ではわかり合っているつもりでも、ちょっと違うグループで話すと全然分かり合えないという経験が誰でもあると思います。さて「コミュ力」を上げるには一体どうすればいいのでしょうか。

コミュニケーションで苦労したことが

 海外の仕事をした事がある方は基本的なコミュニケーションで苦労された事が必ずあると思います。まず語学そのものが出発点ですが、仮にある程度話せても言葉だけではなかなかこちらが頭の中に描いている同じ景色が、相手の頭には再現ができないので、会話が進まないという事が頻繁に起こります。

 従ってビジネスならば、込み入ってくると大抵の場合は筆談になります。白板に書いたり、メモ用紙に書いたりで、実はこれが頭の中の景色を再現するベストな方法ではないかと思います。まあ初歩的な商談だと、「When & How much?」で大体わかるので書くのが一番だと思います。これはお互いが分かり合えるいわゆる「コミュ力」の最もベーシックで最強パターンかもしれません。

さらに深いコミュニケーションには

 さて話がもう少し抽象的になると、自分の考えや、企業風土を説明したりして相手の琴線に触れるような会話が求められます。かなり「高いレベルの意思疎通」ということになります。これは海外ではもちろん日本に居て日本語でも難しいかも知れませんね。まあここまで来るには一朝一夕では行きません。時間、コスト、エネルギーを費やしてコミュニケーションのベースが相互にできないと無理なレベルだと思います。

海外に限らず、日本が実は難関

 ところで何故海外を例に出したかと言いますと、実は私海外での仕事の期間が結構有りまして、コミュニケーションでは現地でかなり苦戦したことが一つです。そしてようやく日本に帰ってさあこれで日本語で何でもやれるとなってからも、「日本語が通じないやん」と思う事が多々あって、海外でやっていたような「コミュ力」というか「コミュスキル」を日本でも結局使うことになったことがもう一つの背景で、私にとってコミュニケーションは海外経験とセットなのです。

書いて書いての熱意が原点

 前述の通り、海外では言葉が完璧でないことを逆手に、書いて書いて書きまくりました。会話で足りない分はもちろんメールでサポート。「私は言葉は辿々しくも、ちゃんとボキャブラリーと文法はわかっているアカデミックな人なんです」感を醸し出すべく、常に喋りと書き物がセットです。また相対できる会議では、ホワイトボードを存分に使って、「私の頭の中はこういう景色ですよ、考えのプロセスは論理的ですよ」とこれもできるビジネスマン感を意識していました。しかし結局これらの奮闘が熱意となって伝わっているコミュニケーションが成り立ったのだと思い返しています。

熱意を伝えるスキルの数々

 すると「コミュ力」はつまるところ「熱意」かと。熱くならずとも何らかの「熱量」が伝わる事が大事なんではないかと。それは「気」であったり、「考え抜いた論理」や、「含蓄のある言葉」だったり、形は様々ですが「相手を捉える何か」だと思うわけです。

 話が抽象的になりすぎたので、具体的にはどうすればという事ですが、当然昔から言われている様に、「話は大きな声で明瞭に」「どちらかというと朗らかに」「困ったらどんどん書きましょう」、とここまではあまりにもベーシック。因みによく日本人は「Shy」だと言われますが、これはコミュニケーションには経験上ややマイナスに働くように思います。日本語的にいうと、「関西弁」の笑い文化に乗ったノリはその点、ピッタリのような感じがします。私は関西人でそうだからと言うわけではないですが、「朗らか感」は大事に思います。

 更に相手に自分の頭の中と同じ景色を再現させるには、それが「どういう体験、経験に基づくものなのか」を語るという事があります。運よく相手が同等の経験をしていれば、前述した、時間、コスト、エネルギーによるベースの部分が既に共通体験として完了しているのでバッチリ理解が進みます。

 それと「違う言葉での繰り返し」「簡易な言葉でのたとえ話」「ことわざの引用」「格言の挿入」、または「四字熟語」もいいかもしれません。例えば「漁夫の利」なんて言葉を使うことで、込み入った競争関係の説明が意外にスッキリと理解できるかもしれません。

日本も書いて書いてが原点

 しかし最後にやはり日本語でも意外だったのは、「書いて書いて書きまくる」ことで分かり合えたと言うことです。わかったつもりで喋っていても、特に会社生活やビジネスでは書いてみることで「なるほど」という事が本当に多いです。まず書こうと思ったら考えがまとまっていないと書けませんし、書きながら考えがまとまったり、理解が進んだと言うことは多々あります。

 「販売見通しを顧客別に出してくれ」といっても、人や世代によって理解の仕方が全く違っていて、予期せぬものができ上がったりすると、最初からきちんと書いて説明すれば良かったと思います。またあるテーマで相互に合点したつもりでも、全く違う景色をお互い見ていて「Yes」と言っていることもあります。

 部下が自信を持って「こうやって、ああやれば、うまくいって、売れるんですよ」という時は、必ず「じゃー、書いて見せてみて」と言います。書くと頭の中がどうなっているか驚くほどはっきりとわかります。そして初めて本当のコミュミニケーションが始まります。

コミュ力は磨き続ける

 色々と書きましたが、時々国家間の首脳会談とかどうやってるんだろう、と思ったりします。これこそ国益をかけたコミュニケーションの極みみたいなものです。きっと会談前の閣僚レベルや、事務方レベルのコミュニケーションにさぞかし、「時間、コスト、エネルギー」が掛かっているんだろうなと思うわけです。

時間、コスト、エネルギーを惜しむことなく、「コミュ力」を磨きたいものです。

コメント

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